潜水服は蛾の夢を見る

主に映画の感想を語るブログです

コンフィデンスマンJP 英雄編

映画「コンフィデンスマンJP 英雄編」オリジナルサウンドトラック(特典なし)

制作国:日本(2022年)

日本公開日:2022年1月14日

上映時間127分

監督:田中亮

脚本:古沢良太

撮影:板倉陽子

出演:長澤まさみ 東出昌大 他

あらすじ:かつて悪しき富豪たちから美術品を騙し取り、貧しい人々に分け与えた「ツチノコ」という名の英雄がいた。それ以来、当代随一の腕を持つコンフィデンスマンが受け継いできた「ツチノコ」の称号をかけ、ダー子、ボクちゃん、リチャードの3人がついに激突することに。地中海に浮かぶマルタ島の首都で、街全体が世界遺産に登録されているバレッタへやって来た彼らは、マフィアが所有する幻の古代ギリシャ彫刻「踊るビーナス」を手に入れるべく、それぞれの方法でターゲットに接近。そんな彼らに、警察やインターポールの捜査の手が迫る。(映画.comより)


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評価:★★★☆☆

 

◆感想(ネタバレなし)

コンフィデンスマンJPはドラマ、劇場版含めて全て鑑賞しています。劇場版に関しては1作目はまずまずの出来だったと思うのですが、前作のプリンセス編はいまいちの出来だったと思っています。ameblo.jp

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良かった1作目も悪かったプリンセス編にも共通するのですが、尺が長いというのはこのシリーズにとっては不利な要素です。結局起こる出来事の全てはダー子たちの掌の上、というのが御約束なので、尺が長ければ長いほど種明かしの時間までが間延びするだけになってしまいます。今作の上映時間は127分。実は過去2作よりも長いのです。この問題をどうクリアするのかが、私が今作を観るうえで一番注目していたポイントでした。

 

結論から言うと、今作はその部分をある程度上手くカバーしています。お話の構造がダー子、ぼくちゃん、リチャードの群像劇的なスタイルに大きく変更され、その上これまで劇場版でお約束だったある二つの要素を破っています。その結果、過去作以上に誰がダー子たちの協力者=子猫たちで、誰がダー子たちのターゲット=お魚なのか観客にわからない作りになっていて、ダー子たちの作戦が完了するまでの間もほとんど退屈しませんでした。

 

ただ、この良くなった要素が足を引っ張った部分もあるなと個人的には思っています。今作は群像劇スタイルをとった結果、ダー子、ボクちゃん。リチャードの3人が完全にバラバラに行動してしまうので、3人のわちゃわちゃした掛け合いは最初と最後の数分ずつしかありません。また、ダー子たちの計画の全貌が最後までわかりくい分だけ、どうしてもこれは何の伏線なんだろうと考えながら観てしまうところが多く、お話としておもしろくはなっているけどコメディとしては減退しているということが結果的には起きてしまっていたように思いました。事実私は公開初日に観たのですが、全然劇場で笑いが起こっていなかったです。

 

また種明かしをされると、じゃあ、あのときのアレは何だったの?という部分もでてきてしまってはいて…これについてはネタバレありのほうで書きたいと思います。

*以下ネタバレです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ネタバレ

ターゲットのジェラール・ゴンサレスにダー子は大使館の職員として、ボクちゃんは画商として接近する。そこツチノコを追うFBI捜査官のマルセル真梨邑、コンフィデンスマンたちを追う日本の刑事の丹波、さらにダー子たちがマルタ島にいると知った赤星も現れる。そんな中、ゴンサレスの妻、麗奈が誘拐される。誘拐の首謀者はリチャードだった。リチャードは踊るビーナスを手に入れ、麗奈は解放されたものの心臓の弱かった彼女は意識が回復しなくなってしまう。罪の意識を感じたボクちゃんは真梨邑にダー子とリチャードを売り、自らも逮捕される。そこに丹波が現れ、赤星が3人盗まれた50億円に対し被害届を出したため、日本警察から3人に対し逮捕状が発行されたと宣言。3人の身柄は日本警察に引き渡される。…というのはダー子とリチャードの計画のうち。元々はダー子のもとにこっくりが現れ、こっくりが寄贈した画がツチノコを名乗る人物に盗まれたと言いに来たのがことの発端。3代目ツチノコはダー子たち3人の師であり、彼の意向で誰もツチノコを継いでいないことを知っていたダー子は真梨邑が勝手にツチノコを名乗っているコンフィデンスマンであると見破る。ダー子はリチャードにだけこのことを伝え、ボクちゃんには敢えて計画の全貌を伏せる。さらに赤星にわざと自分達の情報を流してマルタ島に誘い出す。赤星にこれまで盗んだ50億を返すことを条件に自分達の計画に参加させる。計画を知らないボクちゃんは子猫である麗奈を昏睡状態にしたことに本当に罪の意識を感じ、真梨邑にダー子とリチャードを逮捕させる。しかし、真梨邑がダー子たちを引き渡した日本警察の丹波もまたダー子の子猫だった。ビーナスを手に入れた真梨邑はパリにある自分の隠れ家に持っていくが、ビーナスには発信機が仕込まれていた。真梨邑の隠れ家を突き止めたダー子は隠れ家を丸ごと偽造し、金庫のパスワード手に入れることに成功。中にあった宝物を全て手に入れることに成功。さらに真梨邑の隠れ家に本物のFBI捜査官であるマルセル真梨邑を呼び出して真梨邑と鉢合わせさせ、FBIに真梨邑を逮捕させることに成功する。しかし、その本物の真梨邑は逮捕した真梨邑にコンフィデンスマン3人の逮捕への協力を呼び掛けて…。

 

◆感想(ネタバレあり)

ネタバレなしのところで述べたように、今作はそれまでの劇場版の御約束、コンフィデンスマン3人は計画を共有していること、赤星が騙される側であることの2つを破っています。この内の前者、つまりボクちゃんはダー子とリチャードに騙されていたというのは、個人的にはアリだと思うのですが、ファンの中では賛否が別れそうだなと思いました。

 

それより気になったのは、種明かしを聞くと辻褄の合わないところがあることです。3人がマルタ島で詐欺を競うというのが(一応本当に競ってはいたけど)真梨邑をはめる計画の一部だと五十嵐、ちょび髭、モナコの3人は知っていたわけなので、序盤での3人のダー子との会話は辻褄が合わないものになります。それに丹波が赤星に被害届を出すように土下座をするのも、日本警察というのがフェイクだと知っている赤星に対してやるのは変です。もうこれらのシーンは単に観客を騙すためだけにあるものになっていて、あまり上手くないと思いました。

 

一番問題だと思うのはコミカルな要素が少なくなったことでしょう。コンフィデンスマンJPの劇場版は過去2作もドラマ版に比べると長澤まさみ演じるダー子のエキセントリック感が控えめでしたが、今作は大使館の人間に扮した後は(作戦だけど)詐欺師として逮捕されるので、ダー子のテンションはさらに抑えめになってしまい、ここも残念なところでした。

 

つまるところはやはりコンフィデンスマンJPは映画には向かないというのが動かぬ結論という気がします。物語としての規模が大きくなってしまって、一見シリアスっぽいところが無いといけなくなってしまうというのは、このシリーズに求められる軽妙さと食い合わせが良くないということなのだと思います。今作に関して言えば物語の風呂敷の広げ方が今までと違うのでそこでワクワクはさせてもらえるのですが、コメディとしておもしろかったかと言われると微妙なところで、前作のプリンセス編とは違う意味でコンフィデンスマンJPらしさが削がれてしまっていたように感じました。

 

~追記~

youtubeに本作のメイキングがアップされていたので、貼っておきます。コロナ禍でどうやって撮影したのかと思っていたのですが、こんな方法だったんですね。CG技術、撮影技術とも凄いです。


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◆まとめ

・お話としておもしろいが、コメディとしてのおもしろさが減ってしまっている

2021年に観た映画

スパイダーマンの感想と前後してしまいましたが、2021年に観た映画のリストを備忘録として挙げておきたいと思います。2020年同様、あまり観に行けませんでした。

 

 

以上の9本でした。今年はもう少し観に行けるといいのですが…。

『スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム』の気になった訳 ~"I’m trying to do better"~

すでに感想を挙げたスパイダーマン ノー・ウェイ・ホームですが、ちょっと訳で気になったところがあったので別に記事を書きたいと思います。

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それはピーター(トビー・マグワイア)とオクタビアスの再会のシーンで、ピーターの言う"I'm trying to do better."というセリフです。

 

このセリフは『スパイダーマン2』で二人が出会ったときと同じセリフなんですね。ただ、『スパイダーマン2』と今作では字幕が違います。『スパイダーマン2』では“そんな…”。今作では”努力しています”でした。なぜこんなに違うかと言えば、同じセリフを全く違う文脈で使っているからなんです。

 

スパイダーマン2』では以下の流れの中でこのセリフが使われます。

オクタビアス:He tells me you're brilliant. But he also tells you're lazy.

ピーター:I'm trying to do better.

オクタビアス:Being brilliant's not enough, young man. You have to work hard.

この日本語字幕は

オクタビアス:優秀だと聞いている。だが、なまけ者だと。

ピーター:そんな…。

オクタビアス:優秀なだけではダメだ。努力しろ。

となっています。

 

一方で『ノー・ウェイ・ホーム』ではオクタビアスの”How are you? (元気かね?)”の問いに対するピーターの答えが"I'm trying to do better."でした。ここで『スパイダーマン2』と同じ”そんな…”を訳として当ててしまうと意味が通りません。恐らく今作での日本語字幕、”努力しています”は『スパイダーマン2』のオクタビアスのセリフ“努力しろ”を受けて当てたものなのではないかと思います。

 

ここまでは字幕版の話でしたが、吹き替え版はどうだったのでしょうか。実は吹き替え版は『スパイダーマン2』も『ノー・ウェイ・ホーム』も同じセリフ、”反省してます”になっています。ただ、やっぱりこのセリフは『ノー・ウェイ・ホーム』だと何について反省しているかわからないのでかなり不自然ではありました。

 

日本語字幕版、吹き替え版それぞれどなたが担当していたか忘れてしまったのですが、それぞれに苦労をなさったのだろうと思います。

スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム

【映画パンフレット】スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム 豪華版 監督 ジョン・ワッツ 出演 トム・ホランド、ゼンデイヤ、ベネディクト・カンバーバッチ

制作国:アメリカ(2021)

日本公開日:2022年1月7日

上映時間:149分

監督:ジョン・ワッツ

脚本:クリス・マッケンナ、エリック・ソマーズ

撮影:マウロ・フィオーレ

出演:トム・ホランドゼンデイヤ 他

あらすじ:前作でホログラム技術を武器に操るミステリオを倒したピーターだったが、ミステリオが残した映像をタブロイド紙の「デイリー・ビューグル」が世界に公開したことでミステリオ殺害の容疑がかけられてしまったうえ、正体も暴かれてしまう。マスコミに騒ぎ立てられ、ピーターの生活は一変。身近な大切な人にも危険が及ぶことを恐れたピーターは、共にサノスと闘ったドクター・ストレンジに助力を求め、魔術の力で自分がスパイダーマンだと知られていない世界にしてほしいと頼むが……。(映画.comより)


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評価:★★★★★

 

◆感想:ネタバレなし

全米公開から遅れること3週間、ようやっと日本で公開されました。ネタバレを踏まないように必死の3週間を過ごした人が、私を含めて沢山いたことと思います(笑)。

 

私は公開日の深夜の回に観に行ったのですが、映画館ロビーには私と同じ回を観る人達と、直前の回を見終えた人達が両方いる状態でした。映画館側はこの状況に配慮したのか、”『スパイダーマン ファー・フロム・ホーム』をご覧になったお客様、ロビーにはこれから映画を楽しみにしているお客様が沢山いますので、映画の内容についてお話にならないようお願いします”というアナウンスがされていました。映画館側の配慮が効いたのか、ファン同士の連帯感があったのかわかりませんが、いずれにしても私は上映まで一切のネタバレに合わずに過ごすことが出来ました。

 

ネタバレといっても正直に言えば、多くのファンは何が起こるのかは概ね予想はついていたと思います。それでも開映まで、そのネタバレを踏まないようにするというのは考えてみればなんだか不思議な時間でした。

 

ただ、結論から言えば今作はその多くのファンが予想していた「起こること」を超えてさらなる感動があったと思います。具体的に言えばスパイダーマンとは、″人助けをするヒーロー”なのだということが非常に端的に描かれているのです。

 

鑑賞にに際してMCU版以外のスパイダーマン、つまりサム・ライミスパイダーマン3作とアメイジングスパイダーマン2作の視聴は必須です。逆にこの5作は観たけどMCUは未見という人は、序盤はきついと思いますが中盤にドクター・オクトパスが現れて以降は(たぶん)なんとかなるのではないかと思います。

*以下ネタバレです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ネタバレ

ピーターに頼まれたストレンジは魔術をかけはじめるが、途中でピーターがなんども自分のことを覚えていて欲しい例外の人をリクエストしたせいで魔術は失敗する。その結果ピーターの世界は他の次元とつながってしまい、スパイダーマンの正体がピーター・パーカーだと知っている人物が、吸い寄せられてくる。ストレンジに渡された魔法のウェブシューターによってピーターは別の次元からやってきた5人、ノーマン・オズボーン、オットー・オクタビアス、フリント・マルコ、カート・コナーズ、マックス・ディロンを拘束することに成功する。しかし、彼らを元の次元に戻すとそれぞれの次元のスパイダーマンに殺されてしまうことをしったピーターはストレンジに反発。彼らを治癒しスパイダーマンと戦わなくて済むようにしたうえでそれぞれの世界に戻そうとする。一番最初の被験者だったオクタビアスの治療には成功するが、オズボーン(グリーン・ゴブリン)の裏切りにあったことでメイおばさんが命を落としてしまう。失意のピーターのもとに彼とは別の世界からきたスパイダーマン2人が現れ、ピーターを励まし、治療の作戦を継続することになる。どうにか残りの4人も治療することが出来たが、戦いの最中に魔術を閉じ込めておいたボックスが破壊され、ストレンジの力では多次元への扉を抑えきれなくなってしまう。ピーターは全世界の人が自分を忘れるようにして欲しいとストレンジに依頼。他のスパイダーマン2人と、MJ、ネッドに別れを告げる。ストレンジの魔術が作用し、誰もピーターのことを知らない世界になる。ピーターはMJの店を訪れ、事の次第を説明しようとするが、MITへの進学が決まり未来への期待をふくらませるMJとネッドを見て何も言わずに店を立ち去る。一人ぐらしのアパートに引っ越したピーターは、ミシンで自作した新しいスーツを身にまといニューヨークの街をスウィングしていく。

 

◆感想(ネタバレあり)

まず何と言ってもトビー・マグワイアアンドリュー・ガーフィールドスパイダーマンの再演について触れないわけにはいきません。多くのファンが一度は妄想したであろう歴代スパイダーマンの共演を本当に実現させてくれた作り手に本当に感謝したいと思います。特に私は世代的にトビー・マグワイア版には非常に思い入れがあるので、また彼が演じるスパイダーマンを観ることが出来たのは感無量でした。

 

ただ、今作の良いところは単に過去作のキャラクターを出すというサービスに終始するのではなく、そのうえでスパイダーマンの本質はヴィランを倒すことではなく“人を助けること”だと強く表明する作品になっているところです。その意味ではやむにやまれぬ事情でヴィランになってしまった人達だって救われるべきで存在であり、今作はかつて倒すという形でしか事態を収められなかったマグワイアスパイダーマンガーフィールドスパイダーマンにとっての救いの物語としても機能していて、過去のスパイダーマン作品の着地としても完璧に近いものだったと思います。個人的にはマグワイア・ピーターとオクタビアスの再会シーンでオクタビアスの“大きくなったな”のセリフには、長い歳月を経て理想の着地にたどり着い二人を見る思いで感動しました。

 

細かいことを言えばサンドマンは『スパイダーマン3』で和解が成立していたので、もう少し味方よりに描いて欲しかったと。ホランドスパイダーマンとは対立してもマグワイアスパイダーマンと再会したところで味方になって欲しかったと思いました。あとはマグワイアスパイダーマンの“Hang on!!"のセリフが聞きたかったなとか、いろいろ細かい希望はあるのですが、もうここまでやってくれたら目をつむりたいとおもいます。

 

育ての親から“大いなる力には大いなる責任が伴う”という言葉を受け、誰も自分のことを知らない世界の中でピーターはお手製のスーツを着て街へ飛び出していきます。これで過去作のスパイダーマンと同じ境遇になったことになり、この作品こそがトム・ホランドのピーターの新たなオリジンとなるという位置づけなのでしょう。街へ出ていく直前でアップになるMJのお店のカップに書かれた文字”We are happy to serve you"はそれぞれの世界のスパイダーマンの思いであり、彼もまたその思いと肩を並べたという結末なのだと思います。

 

映画評論家の添野知生さんによると、一応SONYMCU(ディズニー)と組んでスパイダーマンを作るのは一旦ここで終了ということのようです。トム・ホランドスパイダーマンを続投するか否かは正式な決定はまだされていないようですね。ここで終わるのも美しい気がするし、もう少し幸せな未来をピーターに作って欲しい気もするしなんとも言えないところです。


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◆まとめ

スパイダーマンの本質は”人を助けること”であると強く表明する作品

サム・ライミスパイダーマンアメイジングスパイダーマンの続編としても見事な着地

 

『発光妖精とモスラ』中村真一郎、福永武彦、堀田善衛著

発光妖精とモスラ

『発光妖精とモスラ』は中村真一郎福永武彦堀田善衛という3人の文学者によって書かれています。「(上)草原に小美人の美しい歌声」「(中)四人の小妖精見世物になる」「(下)モスラついに東京湾に入る」の3部構成になっていて、(上)を中村真一郎、(中)を福永武彦、(下)を堀田善衛がそれぞれ執筆しています。『発光妖精とモスラ』は東宝が新作の怪獣映画の原作として依頼して書いてもらったという経緯があり、そのせいなのかわかりませんが小説としては短めです。個人的な読んだ感想としては小説というよりあらすじに近いもののような感想を受けました。モスラが日本に上陸した次のページではもう繭を作り始めている、と言えば映画を観た方ならどれだけ駆け足かわかると思います。映画と大きくは変わらないのですが、原作のあらすじを以下にまとめました。

 

言語学者の中条信一はインファント島の調査に向かい、そこで吸血植物に襲われたところを小美人(アイレナ)の一人に助けられる。小美人がサイレンの音に反応したことに気付いた中条は翌日サイレンを使ってもう一度小美人に再会し、調査団の一同は小美人の存在を知ることになる。(草原に小美人の美しい歌声)

調査団は日本から帰国したが、ロシリカ政府の圧力により調査団はその結果について公表することができなかった。業を煮やした新聞記者の福田善一郎は中条のもとを訪れ、インファント島の原住民の言葉を教えてもらい、単身でインファント島の調査に向かった。そこで福田は原住民からモスラに関する神話を教えてもらう。福田が滞在している間にネルソンがインファント島に現れ、4人の小美人を連れ去ってしまう。福田はその騒動の最中に転倒し気を失ってしまう。ネルソンは日本で小美人を見世物にする。中条は抗議するが小美人は人ではなく、島で採取した私有財産であると論破されてしまう。小美人のショーを観た中条は彼女達が何かに呼び掛けていることに気付く。目覚めた福田は原住民にモスラの卵のところに案内される。福田の目の前でモスラの卵が孵化し幼虫が日本に向かって泳いでいく。(四人の小妖精見世物になる)

帰国した福田と中条が、モスラの上陸の原因がネルソンが小美人を連れてきてしまったことにあることを発表する。モスラは国会議事堂で繭を作る。ネルソンの私有財産権を擁護するロシリカ国は繭になっているうちにモスラを撃退するため熱戦放射機を提供した。しかし、熱戦放射機での攻撃によって熱を持った繭は変態の速度が速められ、モスラは成虫になって飛び立った。ネルソンはロシリカ国のニュー・ワゴン・シティに逃亡していたが、ネルソンの行為に対しこちらでも抗議デモが起きており、ネルソンは何者かに射殺される。ネルソンを追って飛んできたモスラによってニュー・ワゴン・シティは廃墟と化した。福田と中条はロシリカ国の要請でニュー・ワゴン・シティに赴き、小美人の歌声でモスラを空港に着地させた。小美人たちは2人に別れを告げるとモスラの複眼の中に入っていった。モスラはインファント島に戻った後、宇宙に向かって飛び立ち、アンドロメダ星雲をかすめて別の宇宙、反世界へと突入していった。(モスラついに東京湾に入る)

 

◆原作と映画の違い

主だったのは次のようなところだと思います。

  • 原作は小美人が4人。映画は2人。
  • 原作には小美人にアイレナという別称がある。
  • 原作ではロシリカ国、映画はロリシカ国
  • 原作では中条と堀田が別々にインファント島に行く。映画では堀田が調査団の中に紛れ込む形で一緒に行く。
  • 調査団がインファント島のことについて話さなかったのは、原作ではロシリカ国に圧力をかけられていたからだったが、映画では人道的な観点から語られなかった。
  • 原作では中条に花村ミチ子という助手がいる。映画では花村ミチというカメラマンに代わっていて、堀田と組んでいる。
  • 原作には中条の家族について言及はない。映画では弟の信二が登場。
  • 原作ではモスラについて“かつてのゴジラよりもさらに巨大にして、狂暴なりと推定される”というニュースが報道されており、かつてゴジラが現れたのと同じ世界線での出来事であることが示されている。映画にはゴジラに関する言及はない。ただし、シナリオの決定稿ではネルソンがゴジラの名前を口にしている。
  • 原作のモスラ七里ヶ浜から上陸し、一度海に戻った後再上陸する(再上陸したのがどこなのかは明言されてない)。映画では小河内ダムから現れる。
  • 原作ではモスラは国会議事堂に繭を作る。映画では東京タワー。
  • 原作ではネルソン達が逃げたのはニュー・ワゴン・シティ(シナリオの第一稿もこの名称)。映画ではニュー・カーク・シティ。
  • 原作では中条と堀田だけがロシリカ国へ行く。映画では花村も含めた3人でロリシカ国へ行く。
  • 原作では成虫モスラがニュー・ワゴン・シティで放射能を吐いたという記載がある。映画ではその描写はない。
  • 原作では小美人の誘導でモスラは空港へ降りる。映画ではモスラの紋章と鐘の音を使って中条たちがモスラを空港へ誘導する。
  • 原作ではモスラは小美人を助けた後に宇宙へ旅立ってしまう。映画にはその場面はない。シナリオの段階では第一稿でも決定稿でも宇宙に飛び去るモスラの描写がある。

 

◆九州でのラストは?

元々映画『モスラ』のクライマックスの舞台は九州になる予定で撮影も済んでいたのですが、コロンビア社からの要望で急遽舞台をアメリカ(劇中ではロリシカ)に差し替えになったという経緯があります。この本には映画『モスラ』の第一稿と決定稿も収録されていて、決定稿の脚本を読むと九州での物語がどんなものだったのかがわかります。以下に紹介します。

 

モスラ小河内ダムから現れた後姿を消す。

中条の弟、信二が中央劇場に忍び込んで小美人を助け出そうとする。信二はネルソンに見つかってしまい、ネルソンの逃亡用のセスナ機に乗せられる。セスナ機が途中で故障し、九州の霧島山脈に墜落する。

同じころモスラは地中を通って横田基地に現れ、渋屋を破壊し東京タワーで繭を作る。

ネルソンは配下とともに仙人洞という洞窟に逃げる。銃で脅された信二も洞窟に連れて行かれる。セスナ機が墜落したところに堀田、中条、花村、警察がたどり着く。現地の木こりの案内で洞窟にたどり着いた一行はネルソン達と銃撃戦になる。

モスラに対し熱戦放射機での攻撃が始まるが、モスラは成虫への変態をとげて飛び立つ。

堀田が洞窟の蔦を使ってターザンのように飛んでネルソンの配下を跳ね飛ばし、ネルソンとも格闘して二人を捕らえる。一行は小美人を山の上に連れて行き解放する。小美人は一行に礼を言う。小美人は歌でモスラを呼び、一行は小美人を残して山を降りる。

東京上空にいたモスラは歌に反応し西に向かって飛ぶ。

ネルソンと配下が警官から銃を奪って逃走し、小美人を奪還するため山を登っていく。ちょうどそこにモスラが現れ小美人を乗せる。ネルソンと配下はモスラに向かって発砲するが、モスラが旋回する風圧で断崖から落ちていく。

モスラはインファント島に着陸した後、再び飛び立ち宇宙に向かって飛んでいく。

 

こうして改めてシナリオを読むと、東宝としてはいわゆる怪獣映画らしい破壊のパートは完全に幼虫に担わせるつもりだったようですね。

ディア・エヴァン・ハンセン

ディア・エヴァン・ハンセン - オリジナル・サウンドトラック

制作国:アメリカ(2021)

上映時間:138分

監督:スティーブン・チョボウスキー

脚本:スティーブ・レベンソン

撮影:ブランドン・トゥロスト

楽曲:ベンセ・パセック、ジャスティン・ポール

出演:ベン・プラット、ジュリアン・ムーア 他

あらすじ:学校に友達もなく、家族にも心を開けずにいるエヴァン・ハンセンが自分宛に書いた「Dear Evan Hansen(親愛なるエヴァン・ハンセンへ)」から始まる手紙を、同級生のコナーに持ち去られてしまう。後日、コナーは自ら命を絶ち、手紙を見つけたコナーの両親は息子とエヴァンが親友だったと思い込む。悲しみに暮れるコナーの両親をこれ以上苦しめたくないと、エヴァンは話を合わせ、コナーとのありもしない思い出を語っていく。エヴァンの語ったエピソードが人々の心を打ち、SNSを通じて世界中に広がっていく。(映画.comより)


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評価:★★★★☆

 

◆感想(ネタバレなし

冒頭の掴みがとにかく最高です。主人公のエヴァンがセラピーの課題である自分宛の手紙を書いているところからスタートするのですが、この手紙の内容にエヴァンの自意識の七転八倒振りが端的に示されています。もうここだけでエヴァンがどんな状況にいる人物なのかわかるのですが、そこからさらに畳みかけるように最初の楽曲で『Waving Through a Window』が始まります。明るい曲調ですが歌詞はエヴァンの孤独が詰まっていて、本当に冒頭の数分だけでエヴァンに感情移入させられます。


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ミュージカルであることの必然性が凄くある作品だったと思います。あらすじにもある通りエヴァンはコナーの両親に対し嘘をつくわけですが、コナーが自分の友達だったという嘘には、自分を理解してくれる友達がずっと欲しかったエヴァン自身の理想の投影が含まれているので、エヴァンの本音が混じっています。それを表現するにあたってはいわゆる普通のセリフだと嘘であることの方が際立ってしまうので、彼自身の心の叫びとしての歌を使うことが必要だったのだと思います。

 

エヴァンを演じたのはベン・プラットという役者で、元のブロードウェイのミュージカルでもこの人がエヴァンを演じていたとのことです。アメリカでは流石に今回の映画版では28歳のプラットが、高校生のエヴァンを演じるには歳を取り過ぎているという批判もあったらしいのですが(28歳の俳優といえば、日本では菅田将暉とか竹内涼真とか神木隆之介とかですね。神木隆之介ならまだできる?)、私はこの人が演じてくれて良かったと思いました。

 

ミュージカル俳優なので歌声が素晴らしいのは言うまでもないのですが、私がとくに素晴らしいと思ったのが彼のエヴァンを演じる佇まいです。なんというか、絶妙な猫背具合なんです。エヴァンの感じている不安や劣等感、居場所の無さが一発で感じ取れる姿勢をしています。もう一つ良かったのが走り方です。回想シーンでエヴァンが木立の中を走るシーンが何回か出てくるのですが、この時の走り方がまた絶妙にダサいんです。イケてない男の子を見事に体現していました。

 

他の方の感想を読むと今作に対してはけっこう否定的な意見もあるようです。私自身は今作は肯定派なのですが、確かに欠点もあることは否定できません。特に大きな欠点なのは、起承転結で言えば「承」に相当する部分、エヴァンが嘘をつき続けているパートが割と長いということです。当然これは物語なので、エヴァンが嘘をついたところからさらにもうひと展開起きるわけですが、そこに至るまでちょっと中だるみしてしまう印相です。

 

ただ、そこを差し引いてもお話としては面白かったと思います。ミュージカル映画なので音響が大事ですから、やはり映画館で観ることをお勧めします。

*ネタバレ

 

 

 

 

 

 

 

◆ネタバレ

エヴァンの嘘によってコナーの家族は癒され、エヴァンもまたこれまであまり感じることの無かった家族の温もりのようなものを感じ始める。かねてから想いを寄せていたコナーの妹のゾーイとの交際も順調に進んでいった。

 

コナーの死を悼む学校の優等生アラナの発案で、コナーと同じようにメンタルヘルスに問題を抱える生徒を支援するコナー・プロジェクトが始まる。その一環でコナーが好きだった果樹園をクラウドファンディングで復活させるという活動が始まる。しかし、ゾーイとの交際に夢中のエヴァンはこの活動を次第にさぼるようになり、アラナからコナーとの友情について疑いの目を向けられる。エヴァンはとっさにコナーの遺書(ということになっている自分で書いた自分宛の手紙)をアラナに見せ、コナーとの友情を証明しようとするが、クラウドファンディングを成功させたいアラナはそれをSNSにアップしてしまう。

 

遺書の内容からコナーの自殺はコナーの家庭環境に問題があったからだという意見がネットで多数派となり、コナーの家族がバッシングを受けてしまう。エヴァンはついに自分が嘘をついてたことをコナーの家族に告げ、コナーの家族から拒絶される。自宅で一人落ち込むエヴァンを母親のハイディが受け止め慰める。立ち直ったエヴァンは本当にコナーのことを知っている人から情報を集め、彼がドラッグの更生施設で歌を歌っている様子を映した動画をコナーの家族に贈る。ゾーイに果樹園に招かれたエヴァンは彼女と話しをした後、改めて自分宛の手紙を書き始める。

 

◆感想(ネタバレなし)

エヴァンの嘘が瓦解していく展開は、今作のあまり良くないところだと思います。この描き方だとアラナの行動がいくらなんでも思慮が浅くて身勝手です。このシーンまでそういう人物しては描かれてなかったのでかなり不自然でした。同じようにアラナが遺書を公開してしまったのだとしても、もう少し描き方に工夫をして、アラナの完全な善意だったのに裏目に出てしまったことを強調したほうが良かったと思います。

 

ネタバレなしの感想で書いたとおり、今作はエヴァンが嘘をついている時間が長く、その嘘が瓦解したあとは、逆にいろんなことがテンポよく進んでしまいます。今作をあまり好きになれない人がいるのは、主にこの展開が不快だからなのではないかと思います。エヴァンのやっていたことは完全に倫理的にアウトなわけですが、その割には大したペナルティを受けず話が終わってしまいます。

 

この部分は確かに感じ悪いと言えば感じ悪い部分です。ただ、明確なペナルティは無かったかもしれませんがエヴァンを取り巻く状況も大きく変わったわけではなかったのも事実です。結局エヴァンには親しい友達や恋人ができたわけではなく物語は終わりますし、ゾーイはともかくコナーの両親に赦してもらえたのかは明示されません。ほんの少しだけエヴァンは孤独と向き合えるようになり、コナーの両親は息子の死を乗り越えるきっかけをつかんだぐらいの終わり方だった気がします。メンタルに問題を抱えているティーンエイジャーがたくさんいるという現実が実在する以上、エヴァンが明確なペナルティを受けたことで赦されるという、安易に何かが解決したような決着にしなかったのは意図的なもののような気がします。

 

あらすじとは直接関係ないですが、私はゾーイがエヴァンに家にやってくるシーンがとても好きです。ジャケットを脱いだら凄く可愛い服を着ていて、ゾーイがエヴァンに告白する決意を固めてやってきたのが衣装からも伝わってくるようになっていました。最後のシーンでエヴァンに会いに来たゾーイも、ちょっと会いに来ただけにしては綺麗めな服を着ていて、ここでの衣装もほのかにゾーイとエヴァンの今後のロマンスの再会を匂わせているのではないかと思います。

 

主演のベン・プラットのみならず、役者さんの演技は皆すばらしかったです。とくにエヴァンの母を演じたジュリアン・ムーアが母親としての心情を吐露しながらの歌唱シーン(おそらくジュリアンムーアの歌唱シーンはここだけだったと思います)は圧巻でした。お話に乗れなかった人も楽曲と役者さんの演技は十分堪能できると思います。

 

◆まとめ

・欠点もあるがお話としては面白かった。

・楽曲と役者陣の演技が凄い

テン・ゴーカイジャー

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制作国:日本(2021)

上映時間:61分

監督:中澤祥次郎

脚本:荒川稔久

出演:小澤亮太山田裕貴 他

あらすじ:宇宙最大のお宝を求めて地球にやって来た海賊戦隊ゴーカイジャーが、宇宙帝国ザンギャックの侵略から地球を守り抜いて10年が経った。地球では、公営ギャンブルスーパー戦隊ダービーコロッセオ」が大流行。その収益は地球の防衛費に充てられるため、歴代スーパー戦隊のレジェンドたちのほとんどがこのプロジェクトに協力していた。しかしゴーカイジャーはすでに解散しており、運営サイドもコンタクトを取れずにいた。そんな中、キャプテン・マーベラスが地球に現れ、運営サイドに挑戦状を叩きつける。マーベラスの前に立ちふさがったのは、ダービーコロッセオの主旨に賛同する伊狩鎧だった。(映画.comより)


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評価:★★★★★

 

◆感想(ネタバレなし)

ゴーカイジャーの10周年記念作品ですが、私自身はゴーカイジャーは10年前にリアルタイム視聴はしておらず、放送終了した後完全に後追いで視聴しました。個人的には大変好きな戦隊シリーズの一つです。スーパー戦隊シリーズ35周年記念作品として、ゴーカイジャーはかつてのスーパー戦隊シリーズの出演者がゲストとして登場することが大きな売りだったわけですが、私が心底感心し感激したのはそういうゲストはどうでもいいと思えるぐらい、ゴーカイジャーの6人のキャラクターの魅力が立っていたことです。

 

キャラクターの魅力は演者の魅力無しには語れません。正直山田裕貴以外の5人は俳優として売れたとは言えないわけですが、演技は全員上手だと思います。個人的には特にマーベラスを演じた小澤亮太が上手いと思っています。粗っぽさもありつつどこか憎めない感じが絶妙に体現されていて、海賊であり同時にヒーローでもあるというこの戦隊のコンセプトは小澤亮太のキャプテン・マーベラスの好演無しでは成立し得なかったのではないでしょうか。マーベラス以外の5人がそれぞれバラバラな個性でありつつも、ちゃんとマーベラスに敬意を持っていて、マーベラスを中心にまとまっている感じがセリフではなく雰囲気で表現出来ているのもこの戦隊の良いところだと思います。つまるところは役者同士のアンサンブルが上手くいっているということなのでしょう。

 

私個人としては大好きな6人がジュウオウジャーでのゲスト出演以来5年振りに全員揃って、しかもスクリーンで観られるということでとにかく楽しみにしていました。正直山田裕貴がこの手の作品に出るには売れすぎていましたし、小池唯も一時全く芸能活動をしていなかった時期があったりしたので、10周年記念の新作は作られないと思っていただけになおさらでした。

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前置きが長くなりましたが、『テン・ゴーカイジャー』は非常に良かったです。

 

意外にも素面でのアクションが多くて、特に小澤亮太池田純矢は(二人とも身体能力が高いからだと思いますが)長尺のアクションをしています。小池唯も二人ほど尺はないもののアイムらしい、相手の力を上手く使う合気道のようなアクションを披露していました。変身後もゴーカイジャーお約束の武器交換やジュウオウジャー以降の戦隊へのゴーカイチェンジなど期待通りのサービスが盛り込まれています。

 

懐かしさを喚起するところはしっかり満たしたうえで、あえて剣を使わずに戦うゴーカイブルーだったり、ハカセがもじゃもじゃ頭を有効活用してたりとこれまでになかったキャラクターの行動も少し取り入れてくれたのも嬉しいところです。

*以下ネタバレです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆ネタバレ

マーベラスは鎧を追い詰めるが、何者かからの妨害を受け、その隙に鎧の反撃にあってしまう。窮地に陥ったマーベラスをアイムが救出する。ダービーコロッセオの運営側はレンジャーキーから戦士たちを呼び出してマーベラスとアイムの追跡をさせる。ダービーコロッセオの真の目的はレンジャーキーの力を一挙に集め、宇宙を侵略する軍隊を作ることだった。それを知った鎧はマーベラスとアイムを助けに向かう。一方ルカとハカセの作戦で、ダービーコロッセオの運営者たちがレンジャーキーを悪用しようとしていたこと、その正体がバクート海賊団であることがテレビで生放送され多くの国民が真実を知る。全てはバクート海賊団が地球に向かったことを知っていた鎧以外の5人の共同作戦だった。再び集結したゴーカイジャーはバクート海賊団を倒し、なおもレンジャーキーを悪用しようとする国防大臣の野望は、かつてゴーカイジャーに″この星の価値”を語った丹羽野が阻止する。

 

◆感想(ネタバレあり)

良く考えると最初からバクート海賊団の仕業と目をつけていたのならば、マーベラスとアイムの会話はミスリード過ぎな気もします。ガレオンを沈められたのであれば序盤でマーベラスが乗ってきた船はなんだったのかとか、そもそも皆どうやって地球に来たんだろうかとか、気になるところは無くも無かったのですが、お話は総じて良かったと思います。60分の尺だとこのぐらいシンプルな話がいいですね。

 

本当に残念だったのは予告編のジョーの″お前は俺の知ってるマーベラスなのか!?"というセリフが、実は本編に出てこないセリフだったことぐらいです。折角本編の内容が良かったので、こういう予告編詐欺みたいなことはしないで欲しかったです。

 

スーパー戦隊公営ギャンブルに使われるという設定は、その利益をスーツのメンテナンスに使うとか、有事のときには本人に返すとか細かいところがしっかりしていて、結果的には敵の策略なわけですが、一応ちゃんと納得させられるものでした。

 

テレビシリーズのゴーカイジャー2話でマーベラス相手に啖呵を切った少年をもう一度出すというは粋な感動のさせ方だなと思いました(あとから気づいたのですがこの役名の丹羽野将年は「ニワノショウネン=2話の少年」ということなんですね)。さすがに同じ役者さんは起用できなかったらしく、回想シーンを使って同じ人物であることを説明しなくてならなくなっていましたが、お話としては良かったと思います。

 

ゴーカイチェンジを全員揃うまできちんと見せない(それまでの単体の変身ではカメラから見切れると変身し終わっている)のは、予算の都合だと思うのですが、最後の変身の盛り上がりに寄与していて良かったと思います。

 

こちらの方の動画を観てなるほどと思ったのが、エンドロール後の最後のカットがカレーをおなか一杯食べてお店で寝てしまっている6人で終わるということの良さです。言われてみれば、この感じはまさにゴーカイジャーのチャーミングさを絶妙に表現していたと思います。


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欲を言えばエンディングは「スーパーヒーローゲッター」ではなくゴーカイジャーのテーマを流して欲しかったと思いました。確か作品全体の中でもゴーカイジャーのテーマは一度も流れないので、これは少し寂しかったです。

 

とはいえ東映特撮作品としてはとても満足できる一本でした。↓の動画では40歳になったら厳しいなんてことも言っていますが、そんなこと言わずに20周年もやって欲しい6人です。


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◆まとめ

・素面のアクションが多いのが嬉しい

・お話もシンプルでわかりやすい

東映特撮作品としては大満足のレベル